もとへ戻る


TK80BSのこと




TK80BSのこと 
マイコン黎明期
       



□内部は基板の3階建て □

庭に持ち出したTK80BS。上ぶたを外すと割合きれいな状態。でも、もちろん動きません。
組立たのは昭和53年(1978年)。最初はTK80の廉価版の同EとBASICボード基板の2階建てで、その後20KBのメモリーボードを追加して3階建て基板になりました。ケースは始め木製の自作でしたが、後にこのケースを購入しました。  
 内部は当時の自分として可能な限り手を加えていました。ビープ音出力、プリンタI/F、レベル1とレベル2BASICのスイッチ切替。カセットI/Fは3200ボー(本来は300ボー)と高速化。



本体周りも出てきた 
TK80BS
       



□カセットテープには自作のBASICプログラムが □

 TK80BS本体以外にCRT、専用カセットレコーダ、自作ジョイスティック、そして200本近いソフトのカセットテープも出てきました。 PC8001はじめ各メーカーの8ビットパソコンが一斉に登場したのちも、昭和61年(1986年)ぐらいまでは趣味のBASICプログラム作りをしていました。「えっ!まだあれで?」と、からからかわれながら7、8年間は使っていたことになります。

カセットテープの「自作ソフト」は、あのころ、マイコンを事務処理に活用できないだろうか? という夢を脹らませながら日曜日にBASICでコツコツ作ったものでした。「ワープロ」というのもあります。もちろんカタカナのみのテキストディタで、プリンタに打ち出したりカセットテープに「文書データ」を保存するようにしていました。「メイシカンリ」で管理できるのはたった50件まででした。



私の「記憶遺産?」 
TK80BS
       



□処分するか、残しておくか。残したにせよ動体保存ではない。 □

スイッチチング電源は2台並列、空冷ファンも2個、16進キーも基板本体と線を引き出して外部に付けた二つ。引き出されたプリンタケーブルは線の束。

 8年間使ったのち、動かなくなり一度ビットインに持ち込み修理を依頼。その時点でTK80BSはとっくに過去のものになっていたのに、親切に修理してくれました。しかししばらくして2回目の故障。それで使用をあきらめたのでした。今、これは単なる私の「記憶遺産?」。果たして処分できるのか・・・。



私の「記憶遺産?」は再び押し入れの奥へ 
これからは、これでBASICだ! イチゴジャム
       



□TK80は押入に。身近なところにこれがあるのを思い出した □

 TK80BSは結局梱包し直して再び研究室2階の押入天袋へ。たくさんあったプログラムを納めたカセットテープはすべて廃棄。データレコーダはゴムベルトが液状に溶けて動かなかったので、秋葉原まで出かけてゴムベルトを購入、付け替えましたが動作せず、これも廃棄。CRTは、、、? と考えた時、今年の2月に作った1500円のBASICマイコン、「イチゴジャム」のことを思い出しました。そうだ、あれでBASICができるんだ。画面にはアナログテレビを使ったのだったが、このCRTが使えるかもしれないということで取り敢えずCRTの廃棄は保留。
  BASICの想い出に暫し浸ったので、これからのお楽しみとして、「イチゴジャム」外観をマイコン風に作ってみようかしらん?  簡単なBASICプログラムも、脳への刺激になるかもしれないし。

 以上、思いがけず出現したTK80BS始末記でした。(2016年9月29日)